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TOP対談 株式会社ノーリーズ 代表取締役 大西 紀之 氏

弊社社長が飲食店経営者に直接インタビュー。
第5回目は、株式会社ノーリーズ 代表取締役 大西 紀之 氏にお話を伺いました。


--まずは飲食業界へのきっかけをお聞かせいただけますでしょうか。
 
(大西氏)やってみたいと思ったのは中学の頃です。亡くなった祖父が料理好きで、何か作る度に教えてくれたり、実家が農家なので両親が忙し
い時は兄弟の中で食事の支度をできる人が分担で作ったりと料理に関わる時間があり、美味しいと言われることが嬉しかったことがベースにあります。学生時代はバイトでラーメン屋を経験し、高校卒業後、大阪の辻調理師学校へ進みました。その後地元の北海道に戻ったのですが、友達もいるし遊びたい盛りの年齢だったこともあり、仕事は飲食店ではあるものの、遊ぶために働いているようなものでしたね。実家にお金をろくに入れていなかったので、いい加減にしろという感じになって、鞄ひとつで東京に出てきました。それが20歳前ですね。
 
--専門学校卒業後、北海道に戻られて1年程で上京。それからどんな道筋を辿ったのでしょう。
 
(大西氏)上京後、代官山でモンスーンカフェを見かけ、旭川では考えられないような店だったこともあり、その日の夜早速行って働きたいと直談判しました。啖呵きって家を出てきた手前、地元には戻れないし、とにかく東京での基盤を作らなくてはと必死でした。キッチンでは、率先して色々やるうちに先輩から可愛がられ、やがてメインも任されるようになりました。後に人事異動があり、たまプラーザの新店で店長をやってほしいと言われたのですが、そもそもホールもやったことが無いし、できるだろうかと不安がよぎりました。ただ、将来を考えた時に店長は絶対経験しておいた方がいいし、こんなチャンス無いと考え直し引き受けました。
--ホールも店長業務も未経験の状態で新店の店長とは、まさにチャレンジですよね。 
 
(大西氏)そうですね。当時24歳で、若さと勢いで絶対いけるとスタートしたんですけど、案の定こてんぱんな内容で、大失敗ですよ。勢いだけで仕事はできないと思い知りましたね。今となればいい挫折の経験だったと思えますが。その後、トライ&エラーを繰り返しながら経験を積んでいくうちに、チームというものを実感できるようになっていきました。ただ、独立するまでの確信はなかなか見つからない時代でしたね。
 
--転機はいつだったのでしょう。
 
(大西氏) 30歳の時ですね。グローバルが大阪に初出店するタイミングで社の代表として行ってこいと声がかかりました。もちろんやる気はあったのですが、自分の中で30歳くらいで独立したいという気持ちもあって。もし大阪に行くとなったら、3年とか腰を据えて取り組まなければいい店はできないなと思っていましたし、会社への恩もあったのですが、独立するにはこのタイミングだと決断しました。ただ、出店場所も何も決まってはいませんでした。実際、物件探しは難航しましたね。なかなか見つからない。 

--三軒茶屋で「いなせや本店」を初出店しました。どういった経緯で業態を決めたのですか。 
 
(大西氏)店舗デザインをお願いしている戸井田さんと色々話している中で決まりました。率直な意見を言ってくれる方で
「思い入れのないコンセプトは絶対うまくいかない」と言われたんです。確かにそうだなと思いましたね。
そんな簡単なことじゃないし、エネルギーが注げるようなコンセプトじゃないとうまくいかないなと。それで、自分なりに頭の中を整理した時、「自分は北海道出身で、実家は米を作っているからそれを使いたい。実家の米と北海道の素晴らしい素材を活かすなら海鮮居酒屋はどうか。炭焼きなど、シンプルだけど素材にこだわった、北海道へ行ったときに味わえる料理を東京で楽しめたらおもしろいな。だったら和食だな」と決まっていきました。
 
--本店の開店から13年経ち業態も増え、いまや7店舗になりました。
 
(大西氏)2店舗目の「ワイン食堂」は、以前グローバルで一緒に働いていた現在幹部
の、唐澤が洋食をやりたいと言っていた夢を一緒に叶えた業態になります。今でこそ周りにお店がありますが、当時何もなかったような場所でして、それでもきっとうまくいくと自信がありました。ただ、開けてみたらさっぱりで。様々試行錯誤したのち、立地の需要を考えて、思い切ってランチをやめて深夜営業に舵を切ってみたらこれが当たり、売り上げが大幅にアップしました。あきらめずにやれば何かしら引っかかるんだと身をもって知りましたね。
3店舗目は成城に和業態の出店となるのですが、本店と似た雰囲気のある物件で、家賃も安い、じっくりやっていったら面白いなと思いました。ただ最初はいずれも波に乗るまで苦労がつきものでして。成城は駅をはさんで北と南で雰囲気も住む人のタイプも全然違うんですが、それを知らず出店したことが原因です。ただ、コンセプトは成城の人たちにきっと喜んでもらえると確信がありましたから、地道にコツコツと続けていた結果、地域に認められるお店を作ることに成功しました。
4店舗目の「いなせやはなれ」は、ワイン食堂に入れなかったお客様を受け入れる目的があった半面、その時自分の中にあった古民家スタイルの店をやりたいという思いと、会社の勢いがあったこともあり、いけると判断したのですが、安易でした。やはり地域にバチっとはまる業態でなくては駄目ですね。それもあって、今回リニューアルに踏み切りました。
 

--これまでお店を閉店したことは一度もありませんよね。
 
(大西氏)出店は長い目で見ていて、やるんだったら30年以上は続けたいし、地域の一部として残りたい。なので、それを踏まえて場所やコンセプトを考えています。僕たちの理念「30年・3世代に愛される店づくり」には、常連さんが自分の人生の大切な時に、いなせやを選んでくれたという経験がベースになっています。そういう風に、店が家族や街の物語の一部になりたいんです。独立を機に自分たちがやっていきたいことや地域に貢献する、支持される店になろうという方向性が固まりましたね。
 
--コロナ禍で経験したこと、感じたこともあったと思いますが、その辺りはいかがですか。 
 
(大西氏)今回のことで「住宅街に出店していて良かったよね」と言われることがありますが、そうではなく、僕たちはリスクも含めた上で住宅街への出店を決めています。都心に出せば受けられる恩恵よりも住宅地を選ぶのは、そこに人が住んでいれば食事は必要だし、未曾有のことがあった時でもその土地で役立つ、長く愛される店になりたいと考えるからです。
 
--4、5月は厳しい時期でしたがどう乗り越えてきたのでしょう。
 
(大西氏)店を休むことは頭になかったですね。震災の時も開けていたことでお客様から感謝されたので、コロナ禍も店をやっていることで住んでいる方の助けになることもあるだろうと、しっかり対策を施したうえで店を開け続けることを決め、すぐにテイクアウトの準備に取り掛かりました。地域柄、お店に貢献したいという地元の方もたくさんいて買っていただけました。現場はスタッフが頑張ってくれていたので、僕も何かしようと考えました。業者さんから魚が余って困っているという声を聞いていたので、刺身やちらし、手巻き寿司セットなど、飲食店でないと食べられないような魚料理を用意して販売し、半月で180万くらいの売り上げになりました。やればなんとかなるんですよね。そりゃあ、本当にこのまま続けていていいのかと思う時もありましたが、自分たちの使命とは何かと考えたら「お客様に喜んでもらうこと」なんです。だったら、どうせ赤字なら少しでも喜んでもらえることをやろう、そうすれば後で振り返った時「あの時、いなせやさんはお店開けてたよね」と、地元の人に愛されるお店になれるという感覚があったんです。そういうこともあって売り上げの回復は早かったのではないかと思っています。どうしてもコロナ以前と比較してしまいますが、原点回帰といいますか、数字を追うだけの商売ではなく、人と人のつながりを大切にするやり方にシフトする時期なのではないでしょうか。
 
--地域に根差しているからこその回復の早さですね。今後はどのようなビジョンをお持ちですか。 
 
(大西氏)こんなお店が街にあったらいいなというプランは自分の中にはありますが、スタッフもやりたいと思わなければ実現できないので、そういった出会いも出店計画のうちのひとつになりますね。やはり人ありきだと思いますので。また、最近でこそ生産者に注目が集まっていますが、まだまだ大変な面も多いのが現状です。自分が生産者の息子というのもありますが、生産者の助けになるようなコンセプトの業態を地方でできたらいいなとは思います。その地域でしか味わえない食材をその地で味わう。遠方からわざわざ食べにくるような店が出せれば、生産者にも地域にも貢献できます
よね。そういう夢を持っている人がいればタッグを組んでみたいですね。コロナで生産者との繋がりで救われたこともあり、これからはそういうところを形にして、少しでも恩返しできたらなと思っています。

 
「30年、3世代に愛される店づくり」、その理念の実現に柴田屋もお手伝いさせていただけることに感謝を感じた時間になりました。大西社長ありがとうございました!
いなせやグループHP:http://www.inaseya-group.com/

■いなせや本店
所在地:東京都世田谷区太子堂4-20-24ウィンベックプラザB1
電話番号: 03-5431-1327
営業時間: 17:00~翌1:00
定休日:無休
※新型コロナウイルス感染拡大により、営業時間・定休日が記載と異なる場合あり

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